受ける

【うける】動詞

使い分けの視点

外から届くものに人物がどんな構えを向けるかで選びます。「承る」は敬意、「引き取る」は責任の移動、「応じる」は働きかけへの返答を強めます。被害なら無防備さを示す語と分け、到来を見ていた人物かどうかも描くと自然です。

同義語

同品詞の類義語

承る文芸的
引き取る
応じる

類義句

同品詞の慣用的言い換え

肩に担ぐ文芸的
首を縦に振るcolloquial
胸に迎える文芸的

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

盾で矢を防ぐような文芸的
両手で水を掬うような文芸的
帆が風を孕むような文芸的

副詞的言い換え

情態副詞・形容詞の副詞的変換

快く
恭しく文芸的
真正面からcolloquial

体言的言い換え

用言を体言に変換

承諾
拝領文芸的
応諾文芸的

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

肩を貸すcolloquial
胸を張るcolloquial
手を差し出す文芸的

関連語を探す

語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

到来への構えエッセイ関連

例文: 警告を聞く前から、彼女の到来への構えはできていた。

胸の前で止める——構えの幾何が運ばれていく先

投げられたものを胸の前で止めるとき、体はいくつかのことを同時にしています。手のひらを相手のほうへ開き、肘を緩め、到達の瞬間にわずかに手を引いて衝撃を殺す。硬く突き出した手では弾かれてしまうので、緩めることが要る。この一連の構えには、はっきりした幾何があります。外側に起点があり、内側に終点がある。その途中に、自分の体の前面という面が置かれている。抽象的な用法を一つも思い浮かべなくても、動作だけでこれだけの構造が取り出せます。

そのうえで、この語が実際に結び付く相手を並べてみると、物体はごく一部です。注文、依頼、打撃、試験、授業、恩恵、影響、印象。飛んでくるものが具体物から抽象物へ置き換わっても、幾何のほうは保たれている。外から自分へ向かって何かが来て、自分の側の面でそれを止める。認知言語学では、身体を通じて繰り返し経験される空間的な構造が、抽象的な領域の理解へ写し取られると説明されます。ここで写されているのは、対象の物質的な性質ではなく、配置と方向だけです。だから注文にも打撃にも、同じ一つの動詞で足りる。

写像の出発点は、名詞になった形にいちばんよく残っています。受け皿、受付、受け口、受話器。どれも物や場所として実体化していて、指しているのは一貫して、到来したものを最初に迎える面や位置です。受け皿は文字どおりの皿で、受付は建物の中の一区画で、受話器は耳に当てる器具ですが、三つとも「そこで止まる」という同じ配置を担っている。動詞のほうが抽象の領域へどこまでも伸びていくあいだ、名詞のほうは具体の側に残って、比喩の出発点を保管し続けている——一つの語の内側で、抽象化と保存が同時に進んでいるわけです。空間から抽象への写像は一方通行に見えて、実際には帰り道の目印を語彙のどこかに置いていくことが多い。

この幾何には、文法の上でひとつねじれがあります。文の主語は動作をする側に立っているのに、エネルギーの起点は外にある。能動態でありながら、出来事を始めたのは自分ではない。この中間的な立ち位置は、近い語と並べると輪郭が出ます。被る、と言い換えたときに落ちるのは構えのほうです。「打撃を被る」は避けようのなかった出来事を指し、そこに準備の余地はない。「打撃を受ける」には、身構えていたかもしれないという余白が残る——同じ被害を書いていても、人物の姿勢のほうが入れ替わってしまう。

授受の動詞と並べると、この語が扱っていないものも見えてきます。もらう、いただくは所有の移動を扱い、受け取った側に社会的な負い目を残します。ところがこの語には、その負い目がない。打撃を受けても、何かを所有したことにはならないし、誰にも借りはできない。面で止めるという幾何は、そもそも所有権について何も述べていないからです。もう一方の端には、同じ語幹から出た自動詞があります。試験を受ける人が、試験に受かる。他動詞は外から来たものを面で止める配置ですが、自動詞のほうは自分が迎え入れられた結果を表す。止める側と迎えられる側が、一つの語幹の内側で分かれて住んでいる。合格を告げるときに、日本語がこの語幹を選んだという事実そのものが、選抜を「面のあちら側に迎え入れられること」として捉えていた証拠になります。

方向の細分化は、複合動詞の後ろの部分が担当します。受け入れる、は境界を通過させて内側へ通す動きで、面はすでに開かれている。引き受ける、は自分の手前へ引き寄せる動きで、終点は所有の位置にある。他の言語なら前置詞や副詞辞が引き受けるはずの区別を、日本語は後項動詞へ預けている。前半が到来という共通部分を担い、後半が終点を決める構造です。もう一段変わった例もあります。冗談が客に受けた、と言うとき、主語は飛んでいくもののほうへ入れ替わり、止める面は聞き手の側に移る。幾何そのものは保たれたまま、視点だけが反転している。

書く側から見ると、この語を選んだ時点で人物の姿勢が一つ決まります。何かが外から来ていて、その人物は面を向けている。向けていない人物には、この語は使えない。だから、依頼を受けた、と書いた直後に「不意打ちだった」と続けると、読者は微かな齟齬を感じます。構えを含む語と、構えのなかった状況が同じ場所に同居しているからです。整えるなら、動詞を替えるか、構えていた理由を先に一つ置くか。どちらでも構いません。決めておくべきなのは、その人物が来るものを見ていたかどうかです。

文: hakadoru.ai 編集部

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