試しに、この副詞をいろいろな動詞にくっつけてみます。起き上がる、は通る。湧く、膨らむ、盛り上がる、もたげる、どれも通る。ところが、押す、投げる、書く、を並べた途端に文が壊れます。壊れ方に規則があるのは明らかで、通る側はすべて自動詞、しかも内側から体積が増えていく種類の動きです。目的語を取る動詞——ヲ格を支配する動詞——とは、ほとんど組めない。
共起の狭さそのものは珍しくありませんが、この語の場合、狭さの理由が意味だけでは説明しきれないところが気になります。副詞は動詞の様態を修飾するのだから、意味が合えば付けられそうなものです。実際、体積が増える他動詞的な言い方、たとえば布団を膨らませる、に対してこの副詞を添えると、座りが悪い。膨らむ側の主体が文の主語に立っていないと据わらない。様態修飾でありながら、格の構造まで指定している。副詞が統語に口を出している、と言ってよさそうです。使役の形にしても事情は変わりません。膨らませる側の意図が文に入り込んだ時点で、内側から勝手に増える、という条件が崩れてしまいます。
語基を一度だけ使う形と並べると、担当の割れ方がはっきりします。むくりと起き上がる、なら動きは一回で終わり、そこに続きはありません。同じ語基から作られた二つの形が、時間の幅の指定だけで住み分けている。どちらを選ぶかで、一瞬の出来事になるか、しばらく続く過程になるかが決まってしまいます。子音を一つ替えた形との比較も効きます。もくもくと湧く煙や湯気は、外から見た塊の増殖です。内側から体積が増える側と、外へ噴き出す側。雲はどちらの語にも乗りますが、疑念や野心が後者に乗ることはありません。主語に取れるものの範囲が、語基の一音で入れ替わっている。清濁でも母音でもなく、子音の交替だけでこれだけ持ち場が分かれるのは、擬態語の体系がかなり細かく仕切られていることの現れでしょう。
抽象名詞を主語に立てると、さらに方向の制限が現れます。疑念が、野心が、悪意が増していく場面でこの副詞を使えるのは、増大の向きが上向きに読める場合だけです。沈み込むように広がる不安には添えられない。横へ拡散する増大も、下へ沈む増大も、いずれもこの語の外にあります。起き上がる、もたげる、盛り上がる、という共起相手の顔ぶれを見れば、上向きの指定はもともと動詞の側にも入っている。副詞と動詞が同じ方向指定を二重に持っているわけです。この重複があるぶん、共起の輪はいっそう狭くなる。狭さの原因は一つではなく、自動詞であること、内発であること、上向きであることが、順に候補を削っています。三つの条件を順番に掛け合わせれば、残る動詞が十指に満たなくても不思議はありません。
もう一つ、「と」の有無で挙動が割れます。「と」を伴う形は動きの過程を修飾し、「と」を落とした形は連体修飾や「した」を介した状態記述に寄る。むくむくした雲、と書けば形状の描写になり、動いていなくてもかまわない。同じ語基が、助詞一つで過程と状態のどちらを指すかを切り替えている。オノマトペを品詞の表に収めにくいのは、こうした兼務のためでしょう。語基を二度繰り返す形にも、統語上の帰結があります。反復は複数回を含意するので、一瞬で終わる出来事とは組みにくい。破裂した、消えた、といった瞬間的な動詞にこの副詞を添えると、文が座らないのは意味の相性というより、アスペクトの衝突です。ある程度の時間の幅を持って進行する動きでなければ、修飾する場所がない。副詞が動詞のアスペクトを選ぶ、という言い方をすると大げさですが、実際に選んでいる。
ここで自分の観察に疑いを向けておきます。共起相手が数個しかないのは、語が精密である証拠だと言いたくなる。けれども同じ事実は、別の読み方もできます。連れていける動詞が数個なら、その語は常に同じ数個と一緒に現れ、結果として組み合わせごと記憶される。疑念が頭をもたげる、雲が湧く——見慣れているのは語ではなく、対になった型のほうです。精密さと定型化は、同じ現象の裏表になっている。
書く側の対処は、共起相手をわずかにずらすことに尽きます。ただし、ずらす幅は統語が許す範囲までしかない。自動詞であること、内側からの増大であること、この二つを外すと文が壊れるので、動かせるのは主語のほうです。何が膨らむのかを見慣れないものに替える。文法が許す隙間は狭く、新しさを作れるのもその内側だけです。制約の側から書ける場所を数える、というやり方が、この種の語には向いています。