にもかかわらず

【にもかかわらず】接続詞

使い分けの視点

「しかし」は二事実を対置し、「それなのに」は期待外れへの感情を強くします。「それでも」「それでもなお」「それでもやはり」は障害を認めた上で継続する形です。「そうした中で」は状況内の動きを示し、「あえて言うなら」は評価を限定し、「そうは言っても」は口語的な譲歩になります。

同義語

同品詞の類義語

それでも
しかし
それでもなお文芸的
それなのに

類義句

同品詞の慣用的言い換え

それでもなお文芸的
そうした中で

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

あえて言うなら文芸的
それでもやはり
そうは言ってもcolloquial

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語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

障害を残したまま進むエッセイ関連

例文: 反対意見を消さず議事録へ抱え、評議会は障害を残したまま進む決議を選んだ。

「も」が一つ入るだけで——障害を消すか、残すか

「天候にかかわらず決行します」と「天候にもかかわらず決行しました」。並べてみると、たった一拍の差で行き先がまるで違う。前者は天候という条件そのものを判断から外している。後者は天候が悪かったことを認めたうえで、それを踏み越えている。同じ動詞の同じ打消形なのに、一方は障害を無効化し、他方は障害を保存する。この差がどこから出てくるのかが、しばらく分かりませんでした。

語のほうを分解してみます。「かかわる」は関与する、引っかかる、こだわる、という意味の幅を持つ動詞です。漢字を当てるときに「関わる」と「拘る」が両方使われるのは偶然ではなく、後者の字は「こだわる」とも読む。原義の方向としては、何かに引っかかって自由に動けなくなる、という像が中心にあったと考えられています。細かい成り立ちには複数の説があり、断定はできませんが、「引っかかり」の像は現代の用法にもはっきり残っている。

字のほうへ少し寄り道します。「拘」は手偏に「句」を組み合わせた形で、手で捕らえて放さない意を表すと説明されます。拘束、拘留、拘泥——熟語はどれも、押さえて動かさないという方向にきれいに揃っている。和語にこの字を当てた人は、引っかかって離れないという側面を見ていたことになります。もっとも、この訓は常用漢字表には載っていません。そのため公用文では仮名で書くのが通例になっていて、新聞や実務の文章でも漢字を立てる例はほとんど見ません。字の側にあった像が、表記の水準では見えなくなっている——語源の手がかりが、表記の制度によって覆い隠されている珍しい例です。読み手は七拍の仮名の連なりだけを受け取り、そこに捕縛の像があったことは知らずに済む。

そこに打消の「ず」が付く。引っかからない、という状態です。「天候にかかわらず」は、天候という杭に判断が引っかからない、つまり天候は判断の入力に入っていない。ここまでは素直に読めます。では「も」は何をしているのか。この「も」は譲歩の働きをするもので、「AにもBしない」の形では、Aが本来なら引っかかって当然の相手であることを含んでいる。杭は確かにそこにあり、当然引っかかるはずで、それでも引っかからなかった——「も」が入ると、杭の存在が文に残り続ける。

ここで自分の説明を疑ってみます。「杭が残る」と言いましたが、それは語源の力というより、単に逆接の接続詞として使われ慣れているだけではないか。実際、現代文で「にもかかわらず」を見たとき、多くの読者は「しかし」の重い版として受け取っているはずです。ただ、「しかし」に置き換えられない文がある。「多くの反対にもかかわらず可決された」を「多くの反対があった。しかし可決された」と割ると、反対と可決が横並びの二つの出来事になる。前者では反対が可決に従属し、可決の内側に抱え込まれている。障害を文の外へ出さず、抱えたまま進みます。この抱え方は、やはり「引っかかりを認めたうえで振り切る」という原義の像と地続きに見えます。

譲歩を作る言い方は、日本語にほかにもいくつもあります。そして、そのどれもが、もとは譲歩専用の語ではありませんでした。「ながら」は動作の同時進行を表す形式で、「歩きながら」が本来の姿です。それが「知っていながら」のように、同時には成り立ちにくい二つの組み合わせへ広がったときに、逆接の読みが生まれた。「ものの」は形式名詞から出ていますし、「くせに」は身についた性向を指す名詞に由来します。どれも、二つの事柄を並べて置く形が先にあって、並べたときの落差が逆接として読まれるようになった。障害を消す表現のほうから譲歩が育った例は、探しても見当たりません。二つを同居させる形だけが、この機能へ育っている。逆接とは、対立する事柄を並置して読者に落差を読ませる仕掛けであって、片方を消す仕掛けではない。語源の側から眺めると、そのことが繰り返し確認できます。

書く側から見ると、この語は文を重くします。に・も・か・か・わ・ら・ずで七拍という長さがあり、和語なのに文語の匂いが濃い。地の文に置くと、その一文だけ論説の格が上がる。だから会話文には落としにくく、人物の心内語に使うと急にその人物が理屈っぽくなる。逆に、そこを利用する手はあります。感情的な場面で登場人物が一度だけこの語を使えば、その瞬間だけ思考が整理されていることが伝わる。障害を消さずに抱えたまま進む語なので、消せない事情を抱えた人物とは相性がいい。

文: hakadoru.ai 編集部

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