ちらりと

【ちらりと】副詞

使い分けの視点

短い視認には「一瞬」「ほんの一瞬」、意図的な視線には「横目に」「視線を投げる」「盗み見する」が向きます。「目の端に」「視界の隅に」は偶然の知覚を残し、「閃光のように」「稲妻のように」は速さを比喩で強めます。見る側の意図を確定するか保留するかで選び分けます。

同義語

同品詞の類義語

そっと
ふと
瞬時に文芸的
一瞬

類義句

同品詞の慣用的言い換え

目の端に文芸的
視界の隅に
横目に

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

閃光のように文芸的
瞬きほどの間文芸的
稲妻のように文芸的

動詞的言い換え

形容詞・副詞を動詞句に変換

目を走らせる
視線を投げる文芸的
盗み見する

体言的言い換え

用言を体言に変換

一瞥のうちに文芸的
瞬きの間に文芸的

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

さっと
ほんの一瞬
そっと

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語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

ちらつくエッセイ関連

例文: 消えた姉の青い外套が街角にちらつくたび、少年は似た背中を追って知らない路地へ迷い込んだ。

訳すと決着がついてしまう——視線の長さと、意図の未決定

英語に移そうとすると、まず glance が浮かびます。ちらりと見る、が一語に収まる。日本語では副詞と動詞の二語でできていることが、英語では動詞の内部に畳まれている。この違いだけなら分節の位置がずれただけの話で、珍しくもありません。動作の様態を動詞に入れるか外に置くかは、言語ごとの傾向としてよく指摘されるところです。困るのはその先でした。

日本語のこの副詞は、見る以外の動詞にも付きます。覗く、光る、聞こえる、そして思う。視覚を離れて、聴覚にも思考にも移れる。glance は視線のための動詞なので、この移動ができません。訳すたびに別の語を探すことになり、一つの副詞が横断的に担っていた統一感は散ってしまいます。原文では同じ質の短さだったものが、訳文では互いに無関係な四つの表現に分かれる。付く先が視覚に限られないということは、この副詞が指しているのが視線ではなく、出来事の持続の短さそのものだということでもあります。何が起きたかではなく、どれだけ続いたかを測っている。

もう一つ、英語には glance と glimpse の対があります。前者は自分が短く目を向けること、後者は短く目に入ってしまうこと。見る側の意図の有無が、語のレベルで分かれている。日本語の副詞にはその区別がありません。ちらりと見た、も、ちらりと見えた、も、同じ副詞が受ける。意図してそうしたのか、たまたま目に入っただけなのか——原文は決めずに済ませられます。訳す人は決めなければならない。そこで、原文になかった情報が生まれてしまう。訳が原文より詳しくなるという、扱いにくい事態です。

では日本語のほうが大まかなのかというと、逆の面もありました。この副詞は「〜り」の形をしていて、反復形と対になっています。きらり/きらきら、ぐらり/ぐらぐら、と同じ体系で、一回か複数回かが語形そのもので分かれる。英語にこの体系はないので、回数の情報は動詞や副詞句に散ります。日本語は回数に細かく、英語は意図に細かい。どちらが精密かではなく、精密さの軸が違うだけです。訳しにくさは優劣ではなく、軸のずれの別名でした。反復形からは動詞も派生していて、視界の隅で何かが繰り返し明滅する状態を一語で言えます。一回性の側にはその派生がない。日本語が細かく扱っているのは、繰り返される側のほうなのかもしれません。

その配置を踏まえると、この副詞で何を出しているのかが見えてきます。視線が短かったこと、そしてそれが偶然か意図かを決めていないこと。二つ目は書かれていないぶん、読者の側で保留されます。彼女はこちらを見た。見たかったのか、目が合っただけなのか、答えの出ないまま場面が進む。この未決定が、視線の場面を長持ちさせている。決めないまま置いておけるものを、書き手はそのまま置いておける——訳せば決着がついてしまうものを決着させずに済ませられるのは、原語で書く側の数少ない利点の一つです。

文: hakadoru.ai 編集部

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