「それでは足りない」の「それ」は対象を指し、「では」は条件や対比の枠を作ります。「それでは、始めます」と文頭に立てば、前までの事情を受けて次の行為へ移る接続表現になります。さらに別れ際の「それでは」なら、後続する「失礼します」「また」を省いて会話を閉じられます。同じ並びが句の内部、文の境、挨拶という異なる統語的な大きさで働きます。
解析には、後ろに述語があるか、独立して発話されるか、前文全体を受けるかを見る必要があります。文字列だけでは品詞的な役割を一つに決められません。
形態的には指示代名詞「それ」に、助詞の連なり「で+は」が続くと捉えられます。「で」は場所や手段を示す場合もあれば、判断の条件を示す場合もあり、「は」はそこへ対比や話題化を加えます。「この条件では」のような句が短くなり、前文を受ける定型へ発達しています。現代の話者が毎回部品へ分解して使うわけではなく、接続詞として一まとまりに処理する用法もあります。
文法化した形式と、自由に組み立てた句が同じ表面形で共存します。日本語の助詞列が持つ多層性です。
縮約形の「それじゃ」「じゃあ」は、音形を短くし、会話の改まりを下げます。「それでは次へ」と「じゃあ次へ」は命題関係が近くても、会議の司会と友人の相談ほど声が違います。縮約は単なる発音の省力ではなく、使用域の標識になります。ただし地域や世代で選択は異なり、短い形を若者へ、長い形を年長者へ固定はできません。
同じ人物が公的な会議と家庭で切り替える差こそ、統語形式が社会的な関係へ接続する場所です。
近い「それなら」は条件判断を明示しやすく、「それでは」は条件に加えて話題転換や儀礼的な開始・終了へ広がります。「雨なら中止」と「雨では中止」は、助詞の選択で焦点や対比の感じが異なります。類似形を同じ接続詞として丸めず、後続する述語と談話機能を比較します。
「それではない」は「それ/ではない」と切れ、否定述語の一部です。「それでは、ない」のように読点を置けば、「その条件なら、存在しない」に近い別構造も理論上可能になります。実際の文では抑揚と文脈が曖昧さを解きます。分かち書きのない表記では、読点が解析を助ける一方、過剰に入れると会話の速度を損ないます。
検索や校正でこの文字列を数えるなら、接続詞、条件句、否定構文を分類します。頻度だけで接続詞の癖とは言えません。
創作では、発話後に何が省略されたかを考えます。「それでは」と言って立つなら別れ、「それでは」と資料を開くなら開始、「それでは困る」と続けば拒否です。定型の前半だけで場面を移せるのは、参加者が次の行為を予測するからです。
文法は語と語の結合だけでなく、発話と行為の結合まで慣習化します。後続文を省いた一言が、扉を開け、会議を始め、会話を終える。その統語的な未完了を、場面が完成させます。
省略された後件は無限ではなく、場面の慣習が候補を狭めます。授業の開始時と玄関先では、同じ形から予測する行為が違います。統語的な空所を社会的な脚本が埋めています。