うっ

【うっ】感動詞

使い分けの視点

喉が詰まるこの声は、表記の歴史では案外新しい装備です。原義は打撃や激痛で息が詰まる生理反応で、そこから図星を指されて言葉に詰まる発話の詰まりへ、さらに鉤括弧に入らない内語へと役割を広げ、思考が一瞬止まったことを示す句読点に近い働きまで担うようになりました。絶句の表現としては手垢も付いていますが、用途を乗り換えながら生き延びてきた語です。

同義語

同品詞の類義語

ぐっ
むっcolloquial
おっ
ひっcolloquial

類義句

同品詞の慣用的言い換え

息を呑んで文芸的
言葉を失って文芸的

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

ああ
うわcolloquial
ぐぅ

関連語を探す

語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

図星エッセイ関連

例文: 図星を指された男は、うっと一つ詰まってから、ゆっくりと白状を始めた。

絶句エッセイ関連

例文: 絶句のあいだに、彼女は三つのことを考えた。嘘をつくか、黙るか、笑うか。

小さい「つ」以前——詰まる声はいつから書けたか

戦前の本を開くと、促音の「つ」が大きいまま組まれていることに気づきます。「あつと言つた」のような字面で、小さく書き分ける現在の方式が公的に整うのは、昭和二十一年の「現代かなづかい」以降のことです。それ以前の読者は、文字の大きさではなく文脈から詰まりを補って読んでいました。喉が詰まる一瞬を目に見える形で書き分ける技術は、日本語の表記史では案外新しい装備なのです。

このことは、詰まる声の歴史を考えるときの視界を変えます。古典語にも感動詞は豊富にありました。「あな」「あはれ」「あら」——ただし、これらは母音で開いたまま終わる形が目立ちます。そもそも、詰まる音それ自体が日本語では新しい層に属します。奈良時代の音節は母音で終わるのが基本で、促音や撥音は、平安時代以降の音便——「言ひて」が「言って」へ変わるような語形変化——や漢語の受容を通じて定着していったと説明されています。音の部品が揃い、表記が整い、話し言葉を写す文体が一般化する。三つの条件が出揃って、ようやくこの声は独立した見出し語として辞書に並び、小説の台詞に頻出するようになった。声そのものは昔からあったはずですが、書き言葉の側が、それを捕まえる網を長く持っていなかったわけです。

表記が整うと、同じ型の語がまとめて書けるようになります。母音一つに促音を足しただけの感動詞、すなわち「あっ」「えっ」「おっ」の一群は、小書きの仮名を前提にしなければ書き分けが成り立ちません。「あつ」と組まれた活字は、驚きの声にも普通名詞の一部にも見えてしまうからです。促音の書き分けが制度として定まったあと、この型の語は会話文の中で持ち場を広げていったと考えられます。母音を一つ取り替えるだけで別の情動を割り当てられる、経済的な仕組みでもありました。感動詞は語彙のなかでも新しい成員の入りにくい区画ですが、この二拍の枠だけは例外的に生産的です。そして枠を用意したのが語形の側ではなく表記の側だった、という点が通時的には目を引きます。ふつう書き方は話し方に遅れて追いつくものですが、この一群では、追いついた表記のほうが語をひとまとまりの型として整理しました。

意味の側にも、通時的な広がりが観察できます。この声の原義に近いのは、打撃や激痛で息が詰まる生理反応でしょう。そこから、体はどこも痛くないのに使われる場面が増えていきます。図星を指されて言葉に詰まる。返答に窮する。請求書の額を見て絶句する。身体の詰まりから発話の詰まりへ——物理的な打撃が比喩的な打撃へ拡張される経路は、意味変化の類型としてはごく典型的なもので、「痛いところを突く」「胸を突かれる」といった慣用句群と同じ比喩の水脈です。現代の会話文では、殴られて呻く用例よりも、痛いところを突かれて詰まる用例のほうが目立つ印象すらあります。

声を書く手段は、感動詞だけではありませんでした。古い文章は、この種の反応を動詞の側で処理しています。呻く、うめき声を漏らす、息を呑む。出来事として記述してしまえば、音そのものを写す必要はありません。近代の会話文が確立するまで、痛みの声はもっぱらこの記述の側に置かれていました。書き分けの技術が整ったあと、日本語の散文は分業を始めます。鉤括弧の中には音を直接置き、地の文では動詞で出来事として述べる。同じ場面を二通りに書ける態勢が、ここで初めて揃ったわけです。態勢が揃えば、どちらを選ぶかが意味を持ちはじめます。動詞で書けば語り手が外から観察していることになり、音で書けば視点は人物の側へ寄る。距離をどこに取るかという問いは、この装備が出揃ってから生まれた、比較的新しい問いです。

拡張はさらに進んで、会話の外にも出ました。鉤括弧に入らない内語として、地の文に置かれる用法です。誰にも聞こえていない詰まりを書く。ここまで来ると、もはや音声の写生ではなく、思考が一瞬止まったことを示す約物に近い働きです。母音一つと促音の組は、生理反応の記録から始まって、心理の句読点へと役割を伸ばしてきたことになります。並行する例もあり、同じ促音止めの仲間たちも、生理から心理へよく似た経路をたどっています。

摩耗も同時に起きています。使い勝手がよいだけに、絶句の表現としては手垢が付き、様式として読み流されやすくなりました。感動詞は数が少なく、名詞や動詞のように言い換えで逃げにくいという事情も、摩耗を早めます。ただ、通時的に眺めれば、これは用途を乗り換えながら生き延びてきた語です。打撃から図星へ、声から内語へ。次の乗り換え先を用意するのは、いま書いている人たちだということになります。

文: hakadoru.ai 編集部

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