いずれにせよ

【いずれにせよ】接続詞

使い分けの視点

いずれにせよは、場合分けを閉じる語です。挙げた場合で可能性が尽くされていて、どの枝からも同じ結論が出るとき、その保証を宣言して話を先へ送ります。文語の命令形「せよ」の残響が宣告めいた硬さを添えるので、この語を口にする人物は、少しだけ証明を書く人の顔になります。覚悟や断定を背負わせたい台詞向きです。

同義語

同品詞の類義語

ともあれ文芸的
どのみちcolloquial
結局
ともかく

類義句

同品詞の慣用的言い換え

どう転んでもcolloquial
結論として
畢竟文芸的

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

なんであれ
煎じ詰めれば文芸的
つまるところ
ぶっちゃけcolloquial

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語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

場合分けエッセイ関連

例文: 少女が最後の一行を書き終えると、場合分けはすべて閉じられ、証明の向こうで夕鐘が鳴った。

場合分けを閉じる語——証明の定型句が日常にいる

整数を一つ取り、それを二乗しても偶数か奇数かは変わらない、ということを示してみます。その数が偶数なら、偶数同士の積は偶数ですから、二乗も偶数になります。奇数なら、奇数同士の積は奇数ですから、二乗も奇数です。いずれにせよ、二乗の偶奇はもとの数と一致する。場合分けの証明はこの型で閉じられ、締めの位置にはたいていこの語が置かれます。数学の答案に現れる数少ない文語の一つです。なお、この証明が信用できるのは、整数が偶数と奇数のどちらかであって第三の可能性がない、という土台があるからで、場合分けはいつも、この網羅の保証とセットで初めて働きます。

論理学は、この推論に選言除去という名前を与えています。AまたはBが成り立ち、Aと仮定してもCが導け、Bと仮定してもCが導けるなら、どちらが真かを知らないままCと結論してよい、という規則です。使用の条件は二つあります。挙げた場合で可能性が尽くされていること、そして、どの場合からも同じ結論が出ることです。この語は、その二つを満たしたと宣言する、日常語の中に住む論理記号だと言えます。類義の「どう転んでも」は、この構造をサイコロの比喩で言い直したものです。どの目が出ても値の変わらない賭けがあるとすれば、その結果は出目という偶然から独立しています。確率の言葉で言えば、場合分けの各枝で同じ値を取る関数は、もはや偶然の関数ではありません。

証明の骨格を図にしてみると、この語の持ち場が見えてきます。演繹はふつう一本の線で進みます。前提があり、規則を当て、次の行が出る。場合分けを含む証明だけは途中で二股に割れ、それぞれの枝が独立に伸びたあとで、もう一度ひとつに合流します。「したがって」が一本道の上を進む語だとすれば、こちらは合流点に立つ語です。枝の数だけ用意された結論が同じ地点に集まったことを確かめ、その先を一本に束ね直す。だから両者は交換できません。分岐のない議論にこの語を置けば、集めるべき枝がないのに合流を宣言することになり、読み手は存在しない分岐を探して立ち止まります。答案でも会話でも、この六拍は、前方に二つ以上の道があったことを後ろ向きに証言しているわけです。

ただし日常の使用が、この条件をいつも満たしているわけではありません。「行くか行かないか決めかねているが、いずれにせよ支度はしておこう」は正しい適用です。どちらに転んでも支度は無駄になりません。一方、検討していない第三の場合が残っているのに結論へ進む使い方は、網羅の体裁をまとった飛躍になります。論理の定型句であるだけに、修辞としての説得力も高い——正しさの外見は、中身と切り離して借用できてしまうのです。議論でこの語が出たら、場合は本当に尽くされているかを一度だけ数え直す。それは数学の答案の検算と同じ作法です。

結論が場合の選択に依存しないという性質は、頑健性と言い換えられます。どの分岐を通っても同じ地点に出る道。この保証があるとき、人は分岐の解決を保留したまま前へ進めます。未知を未知のままにして、それでも確実に言えることだけを確保する——不確実さの下で計画を立てるための、小さくて実用的な数学的作法です。

同じ構えは、手数の見積もりにも現れます。ある手順が何回で終わるかを調べるとき、数学はまず、いちばん運の悪い場合を取り出して、そこでの回数を数えます。数当ての遊びで範囲を毎回半分ずつ絞っていけば、当たりがどこに隠れていようと回数はある値を超えません。最悪ケース解析と呼ばれるこの見積もりが与えているのは、分岐に依存しない上界です。運がよければ早く終わるかもしれない。それでもこの回数までには必ず終わる。保証の形は、偶奇の証明とそっくり同じです。出かける前の算段も同じ理屈で動いています。渋滞するかしないかは分からない。それでも二時間あれば着く。枝を潰さないまま、枝をまたぐ数値だけを先に確保しているのです。

物語の構造にも、同じ蝶番があります。犯人が誰であっても主人公は町を出るしかありません。告白が成功しても失敗しても、二人の関係はもう元に戻らない。分岐を束ねて話を前へ送る場面で、この語は正確に働きます。文語の命令形「せよ」の残響が宣告めいた硬さを添えるので、口にする人物は少しだけ、証明を書く人の顔になります。その顔が本当に全部の場合を数え終えているかどうかまで含めて、人物描写の材料になります。

文: hakadoru.ai 編集部

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