古い箪笥の引き出しが固くて、体重をかけて引いたことがあります。木は反っているのに、枠のほうはまるで動かない。そのときこの語が浮かんだのですが、なぜ浮かんだのかは後から考えても判然としませんでした。触った感触が語を呼んだのか、それとも先に語があって感触をそちらへ寄せたのか。順序を確かめる方法が思いつかないので、ひとまず、この語がどんな相手と組みたがるかを並べてみることにします。
体、作り、扉、靴、骨格、造り——並べると輪郭が出ます。物質と、物質として扱われた身体。抽象名詞はほとんど来ません。精神や意志を修飾しようとすると、途端に別の語が席を取りにくる。共起の偏りは意味の制限をそのまま映していて、この語の中核は「外から力を受けても形が変わらない」という一点にあるらしい。形を持たないものは、この述語の対象になれない。
近い語どうしの住み分けを見ると、その一点がもっとはっきりします。丈夫は布や紙、器にまで届きますが、力に耐えるというより壊れにくいという含みが強い。頑健はほぼ身体専用で、外力よりも病に対する強さを言う。堅固は城や陣地、そして意志にも及ぶ代わりに、日常の物にはあまり降りてこない。四つの語は意味の範囲を重ねながら、共起する名詞の集合が少しずつずれている。辞書の語釈を読み比べるより、どの名詞と組めるかを並べたほうが、境界は速く見える気がします。
こうした共起語の分布は、どの語についても似た形をしています。上位のごく少数が全体の大半を占め、そこから長い裾が伸びて、末端には一度きりしか現れない組み合わせが並ぶ。表現の新鮮さは裾にある、としばしば言われます。上位の五語を避ければ月並みを避けられる、という話にもなりやすい。
ただ、この言い方は雑だと思うようになりました。裾に入っているのは新奇な比喩だけではありません。単に解釈できない組み合わせも、同じ頻度帯に沈んでいます。「頑丈な沈黙」は読める。崩れない、押しても壊れない沈黙として、意味の橋が架かる。しかし「頑丈な速度」は読めない。速度には形がないので、中核の一点と接続する経路が立たない。裾に出ること自体には価値がなく、価値があるのは中核から橋を架けられる裾だけです。新鮮さは頻度の低さではなく、低頻度でありながら解釈可能であるという条件付きの性質だった。
直前に来る語にも癖があります。見るからに、実に、いかにも。評価を伝える副詞が付きやすい。これらが付くと、誰かが物を見て判定したという行為が文の中に残ります。副詞を落とせば判定は薄まりますが、消えはしません。形容動詞そのものが、すでに評価だからです。そこまで見ると選択肢は二つに絞られます。橋の架かる裾を一語だけ選んで比喩に使うか、語を捨てて検査の動作を書くか。引き出しを引く、蝶番を指で弾く、天板に肘をついて体重を預ける——読者は動作から性質を復元します。復元させたほうが、判定を渡されるより長く残る。