臆病

【おくびょう】形容動詞

使い分けの視点

危険の前で止まる同じ動作も、「小心」と呼べば人物への評価になり、「足がすくむ」と書けば身体に起きた事実になります。三人称の語り手が「腰抜け」と決めるのか、本人が「弱気」と責めるのかで、場面の倫理は変わります。恐れの対象、危険の現実性、誰が評価しているかを分ければ、慎重さを安易に臆病と断じずに済みます。

同義語

同品詞の類義語

小心な文芸的
弱腰のcolloquial
怖がりのcolloquial
腰抜けのcolloquial

類義句

同品詞の慣用的言い換え

気の小さい
尻込みする
肝の小さいcolloquial

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

兎のような文芸的
風に揺れる葉のような文芸的
鼠のような文芸的

副詞的言い換え

情態副詞・形容詞の副詞的変換

びくびくとcolloquial
戦々恐々と文芸的
おっかなびっくりcolloquial

動詞的言い換え

形容詞・副詞を動詞句に変換

腰が引けるcolloquial
怖気づくcolloquial

体言的言い換え

用言を体言に変換

小心文芸的
怯え

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

肝の据わらない文芸的
骨のないcolloquial
足がすくむ

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臆病

【おくびょう】名詞

同義語

同品詞の類義語

怯懦文芸的
小心
弱気
小胆文芸的

類義句

同品詞の慣用的言い換え

尻込みする性
縮こまった心文芸的
踏み出せぬ足文芸的

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

兎のような
ねずみのようなcolloquial
薄氷を踏むような文芸的

動詞的言い換え

形容詞・副詞を動詞句に変換

尻込みする
すくみあがるcolloquial
身をすくめる文芸的

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

怖気文芸的
気弱さ
弱腰
おどおどした態度colloquial

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語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

用心深いエッセイ関連

例文: 臆病だと笑われた衛兵は用心深い。三度目の巡回で、井戸に混じった毒の匂いを嗅ぎ当てた。

同じ行動に別の名を——評価が語に固まるまで

彼は用心深く扉の外を確かめた。彼は臆病に扉の外を確かめた。二つの文が報告している行動は同一です。扉があり、外を確かめ、まだ開けていない。差は行動の側にはなく、書き手がその行動をどう採点したかにあります。片方は準備として、もう片方は不足として記録されている。同じ振る舞いに二つの語が用意されていて、どちらを選ぶかで人物の値打ちが決まってしまう。文章の上では、行動より採点のほうが強く残る。

語の内側を見ると、成り立ちは意外に静かです。前の字は胸のうち、心の内側を指す字で、気後れするという意味の自動詞が今も生きています。「臆する」には非難の響きがありません。事実の記述に近い。後ろにつく字は病ですが、これを疾患そのものと取るより、体質や傾向を表す接尾的な用法と見るほうが通りがよい。つまり構成要素の段階では、心が退くという状態の記述であって、罵倒の材料は含まれていなかったことになります。同じ前の字を使う「臆面もない」に至っては、退かないことのほうを非難している。一つの字が、退いても退かなくても否定的に働く語を、どちらも作っている。中立だったはずの部品から、両側を挟み撃ちにする語彙が育ったことになります。

現代語では、その記述がほぼ完全に評価語へ固まっています。ある行動を指す言葉が、次第に否定的な色を帯びていく変化は珍しくありません。慎重という語が反対方向へ固まったことと対にすると、輪郭がはっきりします。もともと同じ範囲を覆っていたかもしれない領域が評価の軸で二つに割られ、それぞれの語がどちらか一方の側に張りついた。語の数は増えていないのに、区別できるものは増えている。身体の部位に紐づく言い方——肝が小さい、腰が引ける——も同じ側に集まっていて、評価は語彙全体に広く分配されています。

ただ、この変化を悪化と呼び切ってよいかは分かりません。中世の用例にすでに戦場での不面目を指す使い方があったとすれば、評価の色は最初から濃かったことになる。手元で確かめられる範囲では断定できないので、ここは保留にします。保留にしたうえで、現代語にはっきり残っている特徴を一つ挙げておきたい。自称と他称の非対称です。自分について「臆病だから」と言うのは自己申告として受け入れられ、しばしば予防線として働く。同じ語を他人に向ければ攻撃になる。この非対称は、評価が固着した語彙に共通するふるまいです。心理学寄りの言い換えに置き換えると非対称は消え、そのかわり人物の像も薄くなる。不安の傾向が高い、と書いた瞬間に、扉の前で止まっている一人の男は統計上の一点になってしまう。評価語の刺は、人物を立たせる力と同じ根から出ているのかもしれません。

実作に落とすと、扱いはかなり神経質になります。三人称の地の文でこの語を人物に貼ると、その瞬間に語り手が人物を裁いたことが読者に伝わる。裁いた以上、語り手は中立の観察者ではいられません。人物の内面に寄り添う体裁を保ちながらこの語を使うと、視点の位置がねじれて、読者は誰の目で場面を見ているのか分からなくなる。逆に、人物自身の内語として置けば、自己評価の厳しさとして働き、同じ語が人物を裁く道具から人物を作る道具に変わります。冒頭の二文に戻れば、選ぶべきなのは語ではなく、誰がその採点をしているのかという一点です。

文: hakadoru.ai 編集部

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