殆ど
【ほとんど】副詞使い分けの視点
「ほぼ」「おおむね」は中立的な概算、「あらかた」「おおかた」は大部分を見渡す語です。「九分九厘」は成否の見込みを強くし、「殆ど」は完了へ近づきながら残りを消さない働きをします。結末の成否や話者の断定回避に合わせて選びます。
同義語
同品詞の類義語
類義句
同品詞の慣用的言い換え
婉曲・強調変換
ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)
「ほぼ」「おおむね」は中立的な概算、「あらかた」「おおかた」は大部分を見渡す語です。「九分九厘」は成否の見込みを強くし、「殆ど」は完了へ近づきながら残りを消さない働きをします。結末の成否や話者の断定回避に合わせて選びます。
同品詞の類義語
同品詞の慣用的言い換え
ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)
下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。
例文: 探検隊は目的地の境界の手前まで来ながら、吹雪に進路を阻まれた。
危うい、と訓読みする字が、量の多さを表す副詞の表記に使われています。「殆」の左側は歹で、骨の残った形に由来するとされ、死や災いに関わる字に広く現れる部品です。危殆に瀕する、という硬い言い回しに残っているのが本来の意味で、そちらでは危険が差し迫っている状態を指します。全体の九割方が済んでいる、という穏やかな事態と、命が危ういという事態が、同じ一字で書かれている。訓が当てられた時点で、二つのあいだに橋が架けられたことになります。
和語の側をたどると、その橋の形が見えてきます。古語には「ほとほと」という副詞があり、あやうく、すんでのところで、といった意味で使われました。ほとほと死ぬところであった、というときの、あと少しで境界を越えていた感じです。この語形から撥音を伴う形が生まれたと考えられていますが、変化の経緯には複数の説明があり、一つに定まってはいません。現代語に残る「ほとほと困り果てた」の「ほとほと」も同じ源から分かれたとされますが、こちらは程度の甚だしさへ進んでいて、量とも危険とも別の場所に着地しました。一つの語形から出た枝が、三方向に伸びたことになります。
橋渡しの理屈自体は、それほど込み入っていません。すんでのところで、という位置は、境界に限りなく近い場所です。境界の手前ぎりぎりまで来ているという情報から、危険を読み取ることもできれば、到達度がほぼ満点であると読むこともできる。前者を取ったのが古い用法で、後者を取ったのが現代の用法です。近さを表す語が量の表現に転じる例は各国語に見られ、英語の nearly も、もとは「近い」を意味する語から来ています。同じ発想の別の枝として、日本語には「あわや」や「すんでのところで」が残っていて、こちらは危険の側に留まったまま量へは進みませんでした。
意味が量へ移った後も、この副詞は境界の記憶を手放していません。使われるとき、必ず残余の存在が含みとして立ちます。作業がほとんど終わった、と言えば、終わっていない部分があると同時に伝わる。全部と言い切れないから選ばれる語であり、話し手は残りがあることを知りながら、その大きさを問題にしないと宣言している。だから否定と組んだときの働きも独特です。ほとんど誰も来なかった、は、来た人が少数いた可能性を残します。ゼロを言わずにゼロに近いと述べるこの構えは、正確を期すためというより、断定の責任を少しだけ手前で降ろすための道具として働きます。
物語の中では、この語は結末を先取りして知らせる合図になります。ほとんど間に合った、と書かれた時点で、間に合わなかったことが確定する。到達しなかった事実を、到達に限りなく近かったという情報でくるんで差し出す形です。危うい、という古い訓は失われたのではなく、こういう文の中で今も働いている。境界の手前で止まったという一点だけが、量の語になっても残り続けた部分だと言えます。
文: hakadoru.ai 編集部
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