本能

【ほんのう】名詞

使い分けの視点

根拠の違いを分けるなら、経験に支えられた「勘」、瞬時の判断である「直感」、生得的な響きの「本能」があります。「衝動」は押し出す力を強めます。説明を止める便利な語にせず、性質・欲求・学習済みの反応のどれかを場面で示します。

同義語

同品詞の類義語

直感
衝動
colloquial
天性文芸的

類義句

同品詞の慣用的言い換え

血に刻まれた記憶文芸的
体が先に動く感覚
理屈を超えた声

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

渡り鳥のような文芸的
獣のような文芸的
刻印された磁針のような文芸的

動詞的言い換え

形容詞・副詞を動詞句に変換

体が動くcolloquial
感じ取る
血が騒ぐcolloquial

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

第六感colloquial
虫の知らせ文芸的
感覚
嗅覚文芸的

関連語を探す

語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

欲動エッセイ関連

例文: 正体のない欲動に突き動かされ、画家は夜ごと同じ顔を描いた。

突き動かす力を、備わった能力と訳したこと

フロイトがドイツ語で Trieb と書いた語を、英語圏の標準的な翻訳は長らく instinct と訳しました。この選択は後の世代から批判を受け、現在では drive と訳し分けるのが一般的です。Trieb はもともと「駆り立てる」という動詞に連なる語で、押し出す力の側に重心があります。対して instinct が担ってきたのは、生物に備わった行動の型のほうでした。日本語ではこの区別を、欲動と本能という二つの訳語で引き受けています。専門領域が訳語を作り直すのは、原語の意味が変わったからではなく、既存の訳語では議論が続けられなくなったからです。

もとの語の作りを比べると、ずれの出どころが見えます。instinct はラテン語にさかのぼり、内側から突き刺す、駆り立てるといった動きの語に連なります。一方、漢語の「本能」は本の能、つまり根もとにある働きという構成で、備わっている性質を静的に名指す形です。片方は力の名前、もう片方は属性の名前。翻訳のとき、この差は消えたわけではなく、語の内側にたたまれて残りました。日本語で「本能が疼く」「本能に突き動かされる」と書くとき、そこには漢語の構成が本来持っていなかった運動が、動詞の側から補われています。訳語の不足を、共起する述語が肩代わりしている。

分節の仕方も一対一ではありません。英語には instinct のほかに intuition、hunch、gut feeling が並んでいて、それぞれ確からしさの根拠が違います。日本語側で対応するのは本能、直感、勘、虫の知らせといった語群ですが、対応表を作ろうとすると必ず余りが出る。英語話者が I knew it instinctively と言うとき、日本語で自然なのはたいてい直感的にのほうで、本能的にと訳すと、生物としての水準まで話が降りてしまいます。英語の instinct が日常語と学術用語を同じ綴りで兼ねているのに対し、日本語は本能を学術寄りに、勘を日常寄りに配分した——分節の位置が、そもそも一段ずれている。

学術の側では、この語の扱いはむしろ慎重になってきました。二十世紀半ばの動物行動学は、生得的に決まった行動の型という考え方を軸に大きな成果を挙げましたが、その後の研究で、行動の発達に環境が関与する度合いが次々に示されます。生まれつきか学習かという二分法が事例ごとに崩れていくにつれ、包括的な用語としての本能は、より限定された術語に置き換えられていきました。日常語のほうは、その事情とは無関係に元気なままです。専門用語が日常語へ降りると、根拠を失っても権威だけが残ることがある。

創作の中でこの語が置かれる位置は、たいてい説明が止まる場所です。なぜそうしたのか説明できない行動に、生物としての必然という体裁を与える。便利ですが、便利さの分だけ、語られない部分が増えます。書き手が使う前に確かめられるのは、その場面で必要なのが押し出す力なのか、備わった性質なのか、経験に裏打ちされた素早い判断なのか、という区別くらいでしょう。訳語が重ね着してきた三つの意味は、今も一つの熟語の中で同居していて、どれを指しているかは文脈だけが決めています。

文: hakadoru.ai 編集部

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