「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」。日本海海戦の折の電文として広く知られるこの一文は、漢字と片仮名だけで組まれています。ここに使われている「晴朗」の朗は、音でしか働いていません。漢文脈を骨格にした近代の書きことばでは、この字はもっぱら音読みの熟語として現れ、和語の訓は口語の側に置かれたままでした。同じ一字が、書きことばでは「ロウ」として、話しことばでは四拍の和語として生きていた。表記の歴史というのは、多くの場合こういう二重生活の記録です。
現在の常用漢字表では、この字の訓は「ほが-らか」の形で示されています。区切りの位置が送り仮名を規定していて、だから「朗か」ではなく「朗らか」と書く。昭和四十八年の内閣告示「送り仮名の付け方」は、こうした語について、語尾だけを送るのではなく「らか」「やか」「か」を含む部分から送ることを本則としました。「明らか」「穏やか」「静か」が同じ系列に並びます。一字で足りそうなところに二字を送るのは冗長に見えますが、削ってみるとその働きが分かる。「朗か」と書いた場合、これを「ほがらか」と読むのか、別の訓で読むのかを字面が決められません。送り仮名は装飾ではなく、読みの候補を削る装置です。
読みを保証する装置は、歴史上ずっと送り仮名だけだったわけではありません。明治から昭和のはじめにかけて、新聞や大衆向けの小説は漢字のほとんどに振り仮名を添えて組まれていました。総ルビの紙面では、送り仮名が一字でも二字でも読みは確定します。振り仮名という別の系統が、読みの決定を丸ごと引き受けていたからです。戦後、当用漢字表の制定とともに紙面から振り仮名が大きく減っていくと、その仕事は行き場を失います。読みを字面だけで決める負担が、送り仮名の側へ移った。二字送るという規則の重さは、ルビが減ったあとの紙面ではじめて実感されるものになりました。
告示の本文には、本則のほかに例外と許容という区分が立てられています。書き手の裁量を全部は塞がない構えで、語によっては二通りの書き方が認められている。ところがこの語には、その揺れがありません。「朗ら」でも「朗か」でもなく、送るのは「らか」の二字だけです。同じ告示の中で、揺れを許された語と許されなかった語が並んでいることになります。揺れがないというのは、書き手にとっては迷わずに済む代わりに、表記の差で何かを言い分ける余地もないということです。許容のある語なら、送り方を替えて硬さや古さを調整できます。手持ちの目盛りが一段少ない語だ、と考えておくとよい。この語で選べるのは、閉じるか開くかの二択しか残っていません。規則の厳しい語ほど、書き手の工夫は表記の外側で立てるしかありません。
字の形のほうも見ておきます。この字は良と月からできていて、月を含む字が明るさに関わるという説明がしばしばなされます。同じ部品を持つ「明」との近さは、意味の系列にも表れている。熟語をならべると、朗読・朗詠のように声に関わるものと、明朗・晴朗のように光に関わるものの二系統がある。そして和語の訓は、はっきりと光の側に寄っています。声の澄み方を言うときにこの訓を使うことは少ない。音と訓で担当が分かれているわけで、書き手が漢字表記を選ぶか仮名表記を選ぶかは、この二系統のどちらを呼び出すかという選択でもあります。なお、郎や朗の類は人名などで旧来の字体が使われることがあり、印刷字体にわずかな異同が残っています。
仮名で全部書いてしまう選択も、当然あります。「ほがらか」と開けば四つの仮名が等間隔に並び、読む速度が一定になる。漢字一字に仮名二字の「朗らか」は、行の中に黒い塊をひとつ作り、そこで視線がわずかに止まります。意味は同じでも、行の重心が変わる。会話文の直後に置くなら開いたほうが息が続き、硬い地の文の中に一点だけ明るさを差し込みたいなら閉じたほうが効く——表記の選択は音を変えないまま、読む速度と視覚の密度だけを変えられる数少ない手段です。
実務的な指針としては、同じ段落の中に漢字の熟語が三つ以上並んでいたら開く、仮名が続いて語の切れ目が見えにくくなっていたら閉じる。この程度の粗い規則でも、原稿の見た目はかなり整います。ただし一つの作品の中で無原則に揺らすと、読者は表記の差に意味があると読んでしまう。決めたら通す。そして通したうえで一箇所だけ崩すと、その一箇所は必ず読まれる。