縮尺一万分の一の地図から、玄関の段差は消えます。それでも道路の接続や川の流れる方向が保たれていれば、町の概略を知る役には立ちます。「ざっくりと説明する」ときにも、同じ種類の選別が起きています。情報を無差別に減らすのではなく、目的に対して重要な関係を残し、不要な細部を落とすのです。したがって粗さは、情報量の少なさだけでは測れません。何を問われているかに応じて、保存すべき骨格を選べているか——この副詞は、要約の精度と省略の大胆さを同時に評価します。あらすじから全台詞を復元できない以上、これは情報を捨てる非可逆な圧縮です。だからこそ、捨てた後にも目的を果たせる基準が先に要ります。
論理の言葉でいえば、要約では前提と結論の鎖をどこまで残すかが問題になります。「雨なら試合は中止。雨が降った。ゆえに中止」という推論から二番目を落とせば、結論の根拠が見えません。反対に、雨量計の型番まで加えても、開催判断だけを知りたい相手には過剰です。必要条件と十分条件を取り違えないことも大切で、「会員なら入場できる」から「入場者は全員会員だ」とは限りません。細部を捨てても推論の向きを保存するのが、筋の通った「ざっくり」です。
この語には、別方向の具体性もあります。「布をざっくりと切る」では、輪郭の粗い要約ではなく、刃が深く入る一回の動作を思わせます。説明の粗視化と切断の深さは、一見別の意味です。しかし両方に、細かな刻みを設けず大きな単位で処理する像があります。文章なら多数の事実を数個の群へまとめ、刃物なら小刻みに往復せず素材へ入ります。共通するのは粒度の大きさであり、「浅い」という意味ではありません。大づかみでありながら核心へ深く届く、という組み合わせも矛盾なく成立します。
数を丸める場面では、粗さの限界を明示できます。百九十八人を「ざっくり二百人」とする誤差は二人ですが、三人を「ざっくりゼロ人」とすれば対象そのものが消えます。相対的な誤差は、元の量が小さいほど大きくなりやすいからです。同様に、脇役十人を「一行でまとめる」ことはできても、犯人をその一群へ埋めれば筋が変わります。省略しても結論が変わらない情報と、たった一つで結論を反転させる情報は区別しなければなりません。例外を落とせるかどうかは、例外の数ではなく役割で決まります。「全員」と「大半」は一語の差でも、反例を許すかどうかが変わります。数量詞を粗く言い換えるときは、結論への影響を確かめる必要があります。
創作の相談で「筋をざっくり教えて」と言われたなら、登場人物、欲求、障害、結果という四点ほどを先に置く方法があります。ところが謎解きなら因果の順序、恋愛劇なら関係の変化が骨格になるでしょう。唯一の正しい粗さはなく、問いごとに適切な同値類——違いをいったん無視して同じ組に入れる基準——が変わります。この言葉を便利な逃げ口上にしないためには、何を落としたかより、何を同じものとして束ねたかを見ることです。しかも、聞き手が詳細へ進むための索引は残しておきたいところです。よい概略は細部の反対ではない。細部へ戻る道を失わずに、最初の輪郭だけを太く引いたものです。その線は次の説明の入口にもなります。