むろん

【むろん】接続詞

使い分けの視点

「もちろん」は広い場面で使える標準形、「無論」は硬質な書き言葉です。「当然」「言うまでもなく」は内容を自明と格付けし、「言うに及ばず」「言わずと知れた」「言わずもがな」は古風または改まった響きです。「そりゃ」「そりゃまあ」は口語的で、納得や譲歩を人物の声として示します。「確かに」は同意後の逆接を導けます。

同義語

同品詞の類義語

もちろん
無論文芸的
当然
そりゃcolloquial

類義句

同品詞の慣用的言い換え

言うに及ばず文芸的
言わずと知れた
言うまでもなく

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

確かに
言わずもがな文芸的
そりゃまあcolloquial

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語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

本題の前に呼吸を置くエッセイ関連

例文: 語り手は賛成を告げる三拍で本題の前に呼吸を置き、その後の反対条件を読者へ構えさせた。

三拍の緩衝材

数学の証明で読者を最も長く止まらせるのは、たいてい「明らかに」と書かれた行だと言われます。書き手には自明でも、読み手はそこで筆を置き、省かれた手順を自力で埋めなければ先へ進めない。宣言そのものは何ひとつ証明していません。それでも一語が置かれることで、読者は「ここは詰めるべき箇所ではない」という格付けを受け取ります。厄介なのは、格付けを下すのが読者ではなく書き手の側だという点です。同じ行を二人が読めば、片方は素通りし、もう片方は三十分止まる。あの五拍の宣言は、相手を選んではくれません。紙幅に余裕があれば、書き手は宣言の代わりに一行の説明を置くこともできます。置かずに済ませると決めた瞬間から、その一語は読者との取り決めに変わる。日本語の散文にも、同じ役を引き受ける短い語があります。何も足さずに、読者の姿勢だけを先に決めていく語です。

三拍。撥音を含めて数えれば、この語は文頭にわずか三拍の場所しか取りません。ほぼ同義とされるもう一方の言い方は四拍で、差は一拍しかない。それでも、文全体のテンポに与える影響は一拍ぶんでは済まないように思えます。四拍の語は句として自立してしまい、そこで一度息が切れる。三拍は切れないまま次へ流れ込む。もっとも、この差は読点ひとつで打ち消せます。三拍の後ろに読点を置けば切れ目が生まれ、四拍の語と同じように独立した句になる。逆に四拍の語から読点を外しても、自立の癖のほうが残って、完全には流れません。速度を調節できるのは、実質的に三拍の側だけです。語の長さと句読点は、文頭副詞の検討ではふつう別々の項目として扱われますが、この語については一つの変数の表と裏になっています。同じ段落で二度使うなら、片方に読点を打ち、片方は流す。それだけで反復の印象がかなり薄れます。流したときの効きは、直後に来る語にも左右されます。次が漢語なら音が詰まり、和語なら滑る。読点を打たないという選択は、後続の一語まで込みの選択になります。

計量の目で見ると、この語には妙な性質があります。文頭に立って文全体をスコープに取りながら、命題としては何も足していない。聞き手が既にその内容を知っているはずだ、という格付けを宣言するだけで、情報量はゼロに近い。語彙密度、つまり全語数に占める内容語の割合を機械的に測るなら、この語は分母だけを増やして分子を増やさない側にいます。削っても文は成立する。実際、削って読み比べると、意味は寸分も変わりません。

では何をしているのか。分布のほうを見ると答えが出ます。削った文では、読者は最初の内容語にいきなりぶつかる。三拍を置いた文では、内容が入る前に姿勢が決まる。密度を下げる代わりに、情報の到着時刻を後ろへずらしているのです。文の平均長が短い段落ほど、この効果は大きい。短文が続く箇所に一つ挟むと、そこだけ呼吸が深くなります。逆に、もともと長い複文の頭に付けると、読者は長い節を構えたまま待たされることになり、効きません。

情報量ゼロと書いたのは、少し急ぎすぎたかもしれません。この語で始まる文を思い浮かべると、その多くが逆接を連れています。むろん承知しているが、むろん例外はあるものの——譲歩を置いて、その後で本題をひっくり返す型です。だとすれば、三拍の時点で読者は続きの構文をある程度予測できることになる。命題としては何も足していなくても、文の骨組みについては先に知らせている。密度の計算では拾えない情報が、構文の予告という形で確かに渡されています。

反復の閾値も測っておく価値があります。機能語であっても、硬い語ほど短い距離で目につきやすい。漢語系のこの語は、口語の中に置くと人物の顔つきが硬くなり、地の文に置くと語り手と対象のあいだに距離が生まれます。同じ章に何度も現れれば、読者はそれを語り手の癖として記録する。何回で癖になるかは書き手の経験に属する話で、正確な数字を挙げることはできませんが、少なくとも段落単位で反復すると、その段落は主張ではなく口ぶりとして読まれ始めます。

そして、この語が置かれるたびに小さく動くものがあります。言うまでもない、と語り手が言うとき、読者は言われるまで気づいていないことのほうが多い。それでも読者は、自分が既に知っていたことにされます。情報の格付けを語り手が独断で行い、読者はそれを追認する。一度なら共犯の楽しさが生まれ、続けば押しつけになる——三拍しかない語が、語り手の権威を一段ずつ積み上げていく。配分の問題として扱うべき語です。

文: hakadoru.ai 編集部

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