数直線の上に点をいくつか散らして、そのうちの一つに注目します。その点を中心にごく小さい区間を取ったとき、区間の中に他の点が一つも入らないなら、その点は孤立点と呼ばれます。定義はこれだけです。周囲を狭めていって自分ひとりになる点。日本語の副詞にこの定義がほとんどそのまま当てはまるものがあると気づくと、しばらく他のことが考えられなくなります。誰かが一言だけ発したとき、その発話の前後には、他の発話が入らない空白の区間が確かに取られている。
もっとも、二つは同じではありません。数学の孤立点は集合そのものの性質で、区間の幅は好きなだけ小さくできます。一方、小説の中で発話が孤立して見えるかどうかは、読者がどれくらいの幅を見ているかに依存します。同じ一言でも、前後に長い沈黙の描写があれば孤立し、他の人物の応酬に挟まれていれば埋もれる。孤立は語が持つ属性ではなく、書き手が周囲をどう空けたかで決まる配置の効果です。副詞はその配置を宣言するだけで、実際に空白を作るのは前後の行数のほうなのです。
ここで比喩が破れる箇所があります。数学では、一点や有限個の点からなる集合は長さを持ちません。長さを測るという意味では、あってもなくても同じ扱いになります。ところが物語の中では、孤立した一言がその場面でいちばん重い、ということがしばしば起きる。面積ゼロのものが最大の重みを持つ。比喩をそのまま押し通せば、ここで行き止まりです。
破れ方のほうに手がかりがあります。長さと重みは、そもそも別の指標だからです。情報理論では、確率 p で起きる事象が持つ情報量を、p の対数を取って符号を反転させた値で測ります。定義上、稀な事象ほど大きな値になる。ほとんど起きないことが起きたとき、その一回が運ぶ情報は大きい——これは感覚的な言い回しではなく、量の定義そのものです。長さの尺度では消えてしまう一点が、情報の尺度では突出する。二つの尺度が食い違うこと自体が、この副詞の働きを説明してくれます。
語形のほうにも、同じ対比が埋め込まれています。この副詞には反復形があり、そちらは点が複数並んだ状態を表します。一つの点だけからなる集合と、間隔を空けて並ぶ点の列。集合として見れば、前者は要素が一つ、後者は要素が複数というだけの違いですが、読者が受け取るものはまるで別です。列になった時点で、点と点のあいだに規則を探し始めるからでしょう。間隔が均等なのか、だんだん詰まっているのか、途切れるのか。一点しかなければ、そこに規則は生じません。比較する相手がいないぶん、その一点は文脈の側から意味を与えられるしかなくなる。単発形が重く感じられるのは、意味を外から借りてくる必要があるためだと考えると、腑に落ちるところがあります。
すると、実務上の帰結も自動的に出てきます。同じ作品の中でこの副詞を何度も使えば、それは稀な事象ではなくなる。p が上がれば情報量は下がり、孤立していたはずの一言は、ありふれた演出の一つに戻ります。無口な人物を書こうとしてこの語を重ねると、無口さが薄まっていくという逆転が起きるのはそのためでしょう。一作の中で数えるほどに抑え、そのかわり前後を本当に空ける。孤立点は、周囲に何も置かないことによってしか作れません。